カラカラ天気から、最近は梅雨らしい雨模様。

雨模様と言えば、昔の映画に「雨に唄えば」を思い出す。
1952年作品のミュージカル。
映画のストーリーはともあれ、俳優ジーン・ケリーが、雨の中で笑顔で歌う姿が印象的な映画。

この曲をジーン・ケリーが雨の中で、笑顔いっぱいにワクワク感あふれさせ歌い踊る。
しかしジーン・ケリーは、この撮影時、高熱を出しての撮影だったと聞く。
一生懸命に演じるジーン・ケリーの姿は、曲や歌詞だけでなく、言葉にならない心の表現が見る人の心を動かすのだろう。

雨に唄えばの歌詞 (曲を聞いて自己翻訳)
I'm singing in the rain 僕は雨の中で歌うよ
Just singing in the rain そう、雨の中でね
What a glorious feelin'  I'm happy again (でも)なんて気分は、晴れやかなんだろう 思わず幸せな気持ちが込み上げてくる
I'm laughing at clouds So dark up above 頭上の暗雲なんて、笑返してやるさ
The sun's in my heart
And I'm ready for love 僕の心の中には、太陽がいっぱい。だから(こんな雨なんてどうってことない)愛する準備はできているよ

大雨の中、さしていた傘を閉じて、陽気に歌う姿は、なぜか見ている自分も笑顔になってくる。それとは反対に映画レオンの中で、主人公のレオン(ジャン・レノ)が泣きながら見ているのもこの映画でした。映画レオンでは、この姿を涙しながら見ている主人公の想いと姿が、また心にクッとくるものがある。

ここで、レオンの話になると、また長くなるし、今回書こうとする趣旨とはちょっと離れてしまうので、そこはまた別の機会として…。

この「雨に唄えば」は、どんな状況でも、私自身の心次第で、雨も心地よいと歌っているみたいで、心に太陽を登らせていたら、どんな嫌なことも希望に変わっていくのだと、希望を語りかける歌のよう。

私たちは、目に見える事実をきちんと捉えることは大切なこと。
雨は雨だもの。
「雨を見て晴れているね」とは言えないし、そんなことを言ったら事実を捻じ曲げているか、ちょっとおかしなことになってくる。
だから事実は事実として見ることは、当然のこと。

ただ、目の前で目に見える事実を、どう捉えるかは心次第。
雨は憂鬱なもの。
でも、雨は「心に潤いと情緒的感情の栄養を与えてくれる」と捉えたら、雨も心地よいものになるだろう。

今、目の前にある出来事をどうとらえるのか。

最悪と捉えるのか。
ここが最悪なら、これ以上悪くなることはないと捉えるのか。
また、良くなる兆しと捉えるのか。

希望は、与えられるのを待っていても望むような希望はやってこない。
希望は、自らの心の中で作り出すもの。
自身の意識の中で、“それでも”と思い続ける人に希望はやってくる。

ジーン・ケリーが高熱の中、雨の中でも「なんて晴れやかなんだろう」「頭上の暗雲なんて笑い返してやるさ」と歌うように、私自身も心に希望を湧き出だす人になりたい。